
明神の楠 詳細
読み方:みょうじんのくすのき |
指定区分:なし |
学名:Cinnamomum camphora |
樹齢:800年以上 |
樹高:15m |
幹周:15.6m(8.0m) |
施設:駐車場・トイレ(五所神社内) |
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮下353 |
難易度:★☆☆☆☆ |
樹勢 :★★★★☆ |
撮影日:2023年7月28日 |








五所神社の道路を挟んだ南に位置する明神の楠
元々は参道脇に立っていたと考えられています。
現在は道路も整備され、少し狭い場所で大きく大きく成長しています。
五所神社内には、クスノキやイチョウの巨木がありますが、圧倒的に大きいのはこちらの明神の楠。幹周:15.6m(8.0m)と記載しましたが、環境省のデータベースでは、幹周15.6mですが、案内板には根回り15.6mと記載があるためです。
普通の木は、地上1.3mの幹周を測るのですが、根上りはくびれたところから1.3mのところを計測するので、8mとなっていたのだと思いますが、そんなことどうでもいいと思う程、根周りが肥大した立派なクスノキということは間違いありません。
以下、案内板に書かれていること
史蹟「明神の楠」
五所神社は、古くは五所大明神神社、または五所大明神と称し、 今を去る約千三百有余年天智天皇の御代、加賀の国の住人二見 加賀之助重行らの手により、この地方が開拓されたとき土肥郷の 総鎮守として、天照大神はじめ五柱の神霊が鎮座されたと伝えられております。
治承四年(1180)八月、源 頼朝 伊豆より挙兵の時、この地の 豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の 館に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたと云われています。このとき、実平によって佩刀一口が 奉納され、いまなお社宝として保存されております。
以来、領主、庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神、湯の産土神として今日にいたっております。
昔の神社の境内は広大幽邃で参拝者は前方の千歳川の清流で禊を 行い、この「明神の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。
正保三年(1646)この樹木の参道もって当時入谷村と云われたこの地方が宮下、宮上の両村にわかれました。
その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、 世の移り変わりと共に、今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。
昭和五四年四月一日 湯河原町指定文化財
クスノキ (くすのき科)
根回り 一五.六メートル
樹齢 約八五〇年
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